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winnyと著作権と 



winnyについての記事をいろいろ読んでいると、擁護派の多くが「今の著作権法に問題がある」ようなコトをおっしゃる。おっしゃるのは結構だが、それになんの意味があるのか疑問に思ってしまう。法律に問題があるのなら、法律は変えるべきだ。
今回の件でいろいろ考えていることに、かなり近い意見がITmediaニュースの「迷走する"著作権" 」であった。短い記事ながら、非常に的確な指摘だと思う。
911のあと現在も続いている「憎しみの無限連鎖」と同じ。著作物の流通と消費者の間では今、「不信感の連鎖」がドロヌマ化しているように思える。消費者を見たら盗人と思い、流通者を見たら金の亡者に見える。そこには肝心の著作権者は不在のように思える。

もひとつ、今回の動きを観察していて思うのが、つくづくこの国は文化的価値観が乏しい、ということ。科学技術の研究の自由を叫ぶ人は多くても、文化的活動の危機を叫ぶ人は少ない。インターネットというものが、前述の記事のように、性善説に基づき、皆がそれを尊重するのであれば、個人レベルの作家活動は経済的にももっと成立できるはず。音楽や映画を例にとって、今時プロテクトしてないものを流通させるのが悪いという意見をどっかで見たが、個人の作家はそんな高額なシステムにお金を払うことはできないのです。

あともひとつ。ハンドル名というのはパソコン通信からもたらされたもので、インターネットは本来、本名主義であった。本名を明かすことで、自分の行動に責任を持ち、相手を信用するということだったと聞く。本名を明かせない世界というのは、あまり健全な世界とは言えないように思える。なお、まつむらの名前はひらがなにひらいてはいるが、本名です。 

投稿日時: 日 - 5月 23, 2004 at 01:25 午前     | |   Top