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ミュージカルバトンもしくは音楽遍歴・2 



前回 いろいろ思いつくままだったので、ちょっと整理。
黒船のリリースが1794年11月。解散が75年11月。ゴールデンピクニックスが1976年。Modern Musicが1979年10月。綿の国星が80年4月。

さて、続き。ミカバンドが解散したあと、各メンバーのソロなどを追っかけていたら出てきたのが、Yellow Magic Orchestraである。はじめて聞いたのは、FMでやっていた、富田勲のライブの前座ライブ。おそらく結成直後?ユキヒロ氏の名前があったので記憶に残っているが、音楽的にはあまり印象にのこらなかった。YMOを自発的に聞き出すのはテクノポリス(79年10月)からなので、ライダーズを聞き出したのとまったく同時期ってことになる。
YMOをよく聞いたのはパブリックプレッシャーまで。一番すきなのはやっぱファーストアルバム

この時期、世の中はもう、YMO旋風がものすごかったのだが、79〜80年にプラスティックス、チャクラ、ヒカシューなどがまとめてアルバムデビューしちゃって、なるほどこりゃあ、まつむらが大学受験失敗して浪人したのもうなずける(笑)いわゆる「ニューウェーブ」な波がまつむらの大学時代であった。
ニューウェーブの時期のバンドで特別扱いしたいのが「チャクラ」の「さてこそ 」(81)と「南洋でヨイショ 」(82)。この時期のバンドでは、一番好きだった。今でも女性の声では小川美潮さんの声(すぐっそこっサンクス♪)が一番好きだ。


この時期、もう一枚、重要なアルバムが出ている。大滝詠一の「A LONG VACATION 」(81)。まつむらははっぴいえんどを知らない世代なので、このアルバムが出てはじめて、はっぴいえんどというものを意識することになった。なぜ、YMOやミカバンドをリアルタイムで聴いていた時に、はっぴいえんどを知らなかったのか、というのは今となってはフシギだけど、当時、レンタルレコード店もなければ、レコードを試聴させてくれる店もなく、音楽情報誌でもニューウェーブ関係の扱いは小さい、ということで、今では考えられないほど、情報がなかった時代だったのだ。
その後、ライダーズ周辺ばっかり聞く時期が何年も続くのだが、そのライダーズ周辺のなかでもっともお気に入りだったのが鈴木さえ子。まったく聴いたことがなかったのに会社帰りにふと思い立って、当日券で行ったコンサートで腰ぬかす。10人以上のビッグバンド(東京マザース)による、超絶テクニックのオンパレード。いやもう、すごかった。オリジナルアルバムは3枚だが、特に好きなのは「I WISH IT COULD BE CRISTMAS EVERYDAY 」(83)。拙著「ルナパーク」は実はこのアルバムから多大な影響を受けてると、今気が付いた。
(つづく....)


 

投稿日時: 火 - 8月 23, 2005 at 08:58 午後     | |   Top